子供の頃から、欲しいと思ったものは独り占めしないと気が済みませんでした。
幼稚園でお菓子を出されたとき、自分の欲しい物を他の子に取られてしまって癇癪をおこしたことを今でも覚えています。
泣きわめくわたしに、その男の子は不承不承にお菓子を譲ってくれたのだけど、それをおかしいこととも思いませんでした。
傷心の息子と中出しセックス…独占欲のあまりに壊れた母親
それが物に対してだけならまだよかったんですが、わたしは人に対してもそうでした。
一度仲良くなった相手が、他の子と仲良くしているのが耐えられない。
独占欲が強かったんです。
そして、独占欲が強い人の例に漏れず、相手への束縛も今思いかえしてもひどいものでした。
成長するにつれて自覚は出てきますから、多少は反省したりもするようにはなりました。
でも、三つ子の魂百までとはよく言ったものです。
多少はましになったものの、その程度は高が知れていました。
分かっていても止めようがなかった。
それでも、高校まではあまり大した問題にはなりませんでした。
同窓会にも呼ばれないので、厄介者扱いされていたことは間違いありませんが、その程度で済んでいたんです。
その程度は、わたしにとっては慣れっこでしたから、大したこととも思いませんでした。
でも、それで開き直っていたのが悪かったんでしょう。
思わぬしっぺ返しがやってきたのは、高校を出てすぐ結婚してから20年目の春。
夫がわたしの束縛が耐えられないと言って出ていったんです。
夫は浮気していたわけではありませんし、そんな度胸がある人でもありません。
男女の意味合いとしての独占なら、それで十分だったはずなんです。
でも、それがわかっていながら、わたしはそれだけではなく、生活までを束縛してしまった。
距離のある友人関係ならまだしも、結婚相手ということで身近すぎて、程度を見失っていた。
我慢強い夫でしたが、それにも限度があったということです。
その時も、もちろんわたしは反省しました。
ここまではっきりした形でのトラブルははじめてのことでしたから、衝撃は大きかったです。
ですが、反省だけなら子供の頃から数限りなくしています。
今も、多少は改善されたものの、結局私の悪癖はなおっていません。
いえ、それどころか、以前よりももっと重症になっています。
なにしろ、今のわたしの独占欲の矛先は、実の息子なんです。
そうなったのは、高卒後に独り立ちしていた息子が離婚直後に会社を辞めて帰省してきたことからです。
わたしはショックからまだ立ち直れていなかったのですが、息子は息子ですっかり気落ちして帰ってきました。
会社の同僚にたちの悪い女がいたようで、それに引っかかってしまったらしいです。
それ以上は深くは聞きませんでしたが、もう女はこりごりだとまでぼやいていましたから、よほどひどい目にあったんでしょう。
会社を辞めてしまうほどですから、聞かなくても察しがつくというものです。
そこで、ただ母親として息子を慰めるだけで済ませていれば、それで終わっていたはずです。
ですが、丁度わたしも動揺していたときで、タイミングがわるかったのもあったんでしょう。
抜け殻のようになった息子のぼやきを聞いてあげながら、心の中でふと悪魔が囁いたんです。
今なら、目の前の息子を独占できるんじゃないか?って。
実を言うと、息子が家を出ていくときも、わたしの中にはかなりの葛藤があったんです。
お決まりの独占欲でした。
ただ、さすがにわたしも、息子の門出を邪魔するほどの非常識さは持ち合わせていなかったんです。
ですが、今その息子は、自分の意思で、わたしのもとに帰ってきた。
しかも、他の女性みんなに幻滅して。
それならもしかしたら、うまくやれば、息子はこのまま自分だけのものになってくれるんじゃないだろうか。
冷静にみれば、その思い付きは非常識さという意味ではこれまで以上に最悪でした。
第一、関係性や年齢差からしてうまくいく可能性は低い。
仮にうまくいっても、息子の将来を粉々にしかねない。
どこからどうみても、救いようがない考えでした。
ですが、夫がいなくなった寂しさもあって、わたしはその誘惑に抗えなかったんです。
それどころか、邪な、母親にあるまじき考えを、いいアイデアだとさえ思いました。
わたしが考えたのは、夫と同じ轍は踏まないという、それだけだったんです。
まずは女としての自分を、息子に認識させることからです。
その日から、わたしは息子に対しての接し方を変えました。
最初は母親としての接し方の中に、かすかに女としての自分を匂わせる程度。
その女としての側面を、ゆっくりと増やしていきました。
昔から見についた厄介者としての処世術で、わたしは外見には日頃から気をつかっていたので、そこだけは心配していませんでした。
夫との反省を踏まえて気を付けたのは、生活面を束縛しないよう目を瞑ることでした。
それは、わたしにとっては非常に苦痛を伴いました。
他の人たちはこれを自然にやれているのかと、今さらながらに驚いたほどです。
我慢できたのは、息子の環境が大きかったです。
平凡な夫婦に過ぎなかった私たちと違って息子は幸い技術者としてはかなり評判が良かったらしく、家で独立して仕事をはじめたんです。
これなら、外の世界の刺激はありません。
それに加えて、わたしはわたしで、目的が息子を篭絡し、自分だけの男にするという、通常ありえないことだと分かっていましたから。
わかっていたからこそ、これまでにはないほど妥協ができたんです。
努力は実を結びました。
息子のわたしを見る目が変わってきて、頃合いだと思ったときに、わたしは勝負をかけました。
見立ては間違っておらず、息子はほとんど抵抗なく、わたしに身をゆだねたんです。
今、わたしは外でフルタイムで働いています。
幸い残業はほとんどないので、定時であがると足早に自宅へ向かいます。
家に帰り着くころには、息子も一日の仕事を終えて料理を作ってくれています。
まるっきり、働く妻と主夫といった感じ。
そう思うと、自分でもおかしくなってしまいます。
食事を終えてお腹が落ち着いたところで、わたしと息子はベッドに向かいます。
夫とのセックスはたまにする程度でしたが、一度元気を取り戻した息子はまだ若いだけに性欲旺盛。
毎晩のことになっています。
かつては夫と身体を交えた寝室で、わたしは息子のち●ちんをしゃぶり、自分の膣に導きます。
体位は息子におまかせ。
わたしはあまりセックスの形にこだわるタイプではないので、息子の思うままにさせています。
本音を言えば、セックス自体、わたしにとっては大した意味はありません。
夫にしても息子にしても、自分に相手をつなぎとめる手段に過ぎないんです。
ただ、かといって嫌いなわけではありませんが。
「母さんのま●こ、元カノのよりずっといいよ」
息を荒げた息子がそう言いながらわたしに挿入するたび、いいようのない満足感を感じます。
もっとも、本人には言えませんが、息子はセックスそのものは上手いとはお世辞にも言えません。
腰の振り方はただ激しいだけですし、指使いだってなってないし。
ち●ちんだって、硬いは硬いですけど、夫よりかなり小ぶり。
多分、わたしのあそことはあまり形が合っていないんでしょう。
だから、身体の刺激だけなら夫のときより…いえ、若い頃経験した相手、全員と比べても弱いです。
でも、そんなことはどうでもいいんです。
自分の胎内を、息子の性器が満たしている。
そのことが、わたしが息子の身体も心も独占していることを実感させてくれるからです。
それを思うだけで、わたしの身体は鋭く反応し、どうしようもなく濡れてしまうんです。
そう考えると、セックスというのも身体の問題ではないのかもしれません。
いずれにせよ、わたしの内心を知らない息子は、わたしの身体の反応を単純に喜んでくれます。
「ああ、中がヌルッとして気持ちいいよ…」
満ち足りた声を上げる息子。
わたしはそれを、微笑ましく思いながら、声を上げます。
演技ではありません。
身体全体を使って喉からごく自然に吐き出される、いやらしい声。
刺激が弱くても、これだけ声が出るのは息子とするようになってはじめて知ったことです。
身体も、息子の動きにあわせてごく自然によじれます。
それが、息子には直接気持ちよさを与えるみたいです。
わたし自身はわからないことですが、多分膣の中に何か動きが加わるんでしょう。
「んーっ…母さん、それ、いい…たまらないよ」
目を閉じ、股間の快楽に身をゆだねる息子。腰の動きがますます早くなり、わたしの奥をズンズンと突き上げてきます。
荒々しい動きに子宮を揺さぶられながら、わたしは息子が自分のことしか考えていないだろうことに、心地よさしか感じません。
この心地よさをこれからも味わい続けるためなら、何をされてもいい。
たとえば、中出しとか。
「んおおっ!出る、出るよっ、母さんっ」
雄叫びを上げ、限界に達した息子が、思い切りわたしの中に精液をほとばしらせます。
ああ、息子の精子が出てる。
わたしは、息子も、その欲望も、なにもかもをを独占している。
夫を失った寂しさなど忘れ去ってしまうほどの快楽に溺れながら、わたしは満足し切ってイくんです。
今の不安は、息子が元気になり過ぎて外の世界にまた出てしまっていかないか、だけです。
そんな自分が、母親として以前以上に壊れていることも、重々承知しています。
息子がまっとうな大人になることを恐れていると言っているようなものなんですから。
でも、そんな自分を、わたしは抑えることができない。
多少我慢を覚えたものの、わたしの本質は、幼稚園でお菓子を取られて泣いていたあの頃と変わっていないんでしょう。
大人になり切れなかった子供なのはわたしの方なんです。
ひとしきり精液を中に出し終わって虚脱する息子と抱き合っていると、そんなことをしみじみ考えてしまうんです。
快楽を貪りながらも、この後味の悪さとは今後ずっと付き合っていくことになるんだろうと思っています。