私は毎夜、今年二十四になる実の娘とセックスしています。
こうした願望をお持ちの方なら、なんて羨ましいと思われるかもしれません。
ですが、そんなにいいものではありません。
残念ながら私にはそうした願望は皆無ですし、
セックスにしても娘に強いられて仕方なくですから。
バイブよりは豚でも本物の方がマシ 暴虐無人で孤独な娘の性欲処理
娘は、わたしのことを豚と呼びます。
それは、まだ学生だった頃からそうでした。
娘はその頃から学内でも才媛との誉れ高かったのですが、
一方では極端なまでの内弁慶でした。
いえ、内弁慶という言葉では足りません。
それほど、娘の気質は常軌を逸していました。
帰宅後の娘は、ご近所にも社内の同僚たちにも
決して見せられないほどの暴虐ぶりだったのです。
私と妻は、それを反抗期ゆえの行動だと思っていました。
大人になるころには収まるものだと、高をくくって耐えていたのです。
ですが、私と妻は甘すぎました。
成長すればするほど、娘の女帝ぶりは悪化の一途をたどっていったのです。
取り返しがつかないと私たちが悟ったときには、もう遅かった。
あまりのひどさに、娘が大学を出て1年ほどたった頃、
私たちは娘の前から姿を消すことさえ考えたこともあります。
親としての義務は果たした。
このまま一緒にいたら、私たち夫婦の人生は真っ暗だし、
むしろわたしたちが逃げた方が娘のためにもいいのではないか。
ですが、私たちはそれをしようにもできなかった。
それを実行するには資金力があまりにも欠けていたのです。
娘が大学を卒業する半年前、私はリストラされました。
以来、次の職場が見つからないままだったのです。
ただでさえ安月給な上に娘の進学資金なども重なり、
貯金はほとんど残っていませんでした。
かといって妻はずっと専業主婦でしたし、
もともと要領のいい性格ではありません。
その一方で、娘は家庭での破綻した行いとは逆に、
外での立ち回りは見事でしたし、
自分の才気を活かす術も心得ていました。
大学在学中に学生でありながら起業し、
今ではれっきとした経営者です。
少人数でやっているようなので
著名な経営者のような大儲けというわけではありませんが、
歳を考えればなかなか見ることのない収入でした。
つまり、つくづくお恥ずかしい限りですが、
私たち夫婦は娘におびえながらも、
その娘に頼らないと生活が成り立たない状態になっていたのです。
逆らえる状態ではありませんでした。
私たちが逃げようにも逃げられないことを、頭のいい娘が察しないわけがありません。
娘の私たちへの容赦のなさは、もはや常識を超えたものになっていました。
娘が私をセックスの道具として扱うようになったのも、その一環でしかありません。
私自身としても、娘の異常さを示す一つとしてしか認識していません。
妻にしても諦めきっています。
妻は私と娘の行為を既に知っていますが、
その間は自分に矛先が向かないためか、何も言いません。
既に、家庭として破綻しています。
ただ、ある面では、状況的に破綻しているのは
一見成功者である娘本人も変わらないのではないかと考えています。
娘が私を性のはけ口にすべく命令してきたとき、
私はついにここまできたかと恐れおののいた反面、
内心で、やっぱりかと思ったのです。
経済的な成功の一方で、
娘の周囲からは人がどんどんいなくなっていましたから。
ビジネス上の取引先こそ増える一方でしたが、
プライベートな付き合いをしている様子は
日に日に見なくなっていたのです。
もちろん、恋愛の匂いなど皆無でした。
ですが、あたりまえです。
いかに外面がよくて才気に溢れていようと、
内面がこれでは、ある程度親密になった時点でバレますし、
そうなれば誰でも逃げます。
まして、恋愛やセックスなどその最たるもの。
まっとうな男なら、コミュニケーションが成立しないと分かっている相手に、
愛情や性欲を感じるわけがありません。
保証してもいい。
娘は、概ね帰宅後、服も脱がずに私の部屋に直行してきます。
荒々しくドアを開け、ハンドバックを床に放り投げ、私にベッドに横たわるように命令。
私は、無表情にズボンのベルトを外し、下半身全裸で横になります。
その間に頭の中で、娘ではない、甘美な妄想を無理矢理ひねり出し、
それでようやく勃起にもっていくのです。
娘はというと、下着とストッキングだけ脱ぎ捨て、
スーツ姿のままわたしの上にまたがって、無遠慮に腰を振ります。
体重こそ軽いのですが、腰の振り方には私への遠慮など一切感じられません。
叩きつけるような動きは痛みを伴うほどの激しさです。
もちろん、セックスですから、性器がこすれ合う肉体的な快楽があることは否定しません。
ですが、それを考慮に入れてもただの苦行です。
目の前には、下半身をむき出しにして、腰をふる年頃の娘の姿がありますが、
興奮は全く感じません。
もちろん、娘の性器に自分のものが出入りしている様子にも。
ときどき、気持ちよさではなく、苦しさで声が出そうになることがありますが、
それさえ私は必至に我慢しています。
娘がわたしの声など聴きたくないというからです。
あんたの豚臭い声、聴かせるんじゃないわよ。
豚は豚らしく、何もしゃべらないでできることだけしてなさいよ。
何の役にも立たないんだから、せめてバイブの代わりくらいにはなりなさいよね。
セックス中の娘の私に対する罵声、それも比較的穏当な部類です。
常識的に考えれば、こんなことを言われたら勃起し続けることさえ難しい。
私にしても、必死に脂汗をかきながら何とか勃起を保っているのが実情です。
勃起しなかったり、中折れした場合、どういうことになるかは想像がつくからです。
必死に耐えているうちに、娘は絶頂に達します。
ここまで嫌っている私相手で絶頂できるというのが信じられませんが、
身体をヒクヒクと小刻みに震わせる娘を見上げ、
私はようやく終わったと安堵するのです。
射精は、することとしないことが半々ですが、
娘は自分さえイければいいらしく、
そこについては何も言わないのが救いです。
絶頂に達した後、娘はしばらくはじっと余韻を味わい、
やがて腰を浮かせて私の性器を抜き取ります。
そして、丸出しの下半身から体液を垂れ流したまま、
私を一瞥もせず自室に戻っていくのです。
ああ、やっぱりバイブよりはこっちの方がいいや、とつぶやきながら。
やはり、私を道具としてしか考えていません。
けれど、バイブの代わりというのは、
ある意味で娘の置かれた現状を端的に表しているようにも思えます。
本物の人肌である分、バイブレーターよりはマシということなのでしょうが、
それはそのまま、娘がどれだけ人肌に恵まれていないかの裏返しだと思うのです。
おそらくですが、娘は性交するほどに親しくなった相手には、
私ほどではないにせよ、同じような扱いをしてしまうのではないかと思います。
娘の傾向から言って、まったく素が出ないわけがないですから。
そして、おそらく娘は、それを自分でも抑えることができないのでしょう。
仮に私の見立てが当たっているとするなら、
おそらく娘は今後一切、恋愛を成立させ、維持することは不可能でしょう。
そして、それがかなわない以上、
娘はおそらくこれからも私を快楽の道具として利用し続け、
私は泣きごとも言えずに、老いていくことになるのでしょう。
現状から抜け出せる見込みは、今のところ、やはり見つかっていません。