ギャル上がりの母と友人が貪った息子の性器

かつて、私の母はとんでもなく派手でした。
今となって思い返すと、同級生の母親たちからも浮いていたように思います。

もっとも、本人はそれを気にするそぶりもありませんでしたし、
子供の頃の私はそんな母をカッコいいと誇らしく思っていました。
母は子供の私がみても綺麗でしたし、
周囲から何と言われようが
自分らしさを優先する姿勢は潔く見えたんです。

ただ、母は単に結婚以前の習慣から抜けられなかっただけという気もします。
母は学生時代はギャルと言われる女の子たちの走りだったようで、
その頃の写真を見せられたりすると
ほとんど私服の趣味が変わっていない。
大人になれば落ち着く方も多いんでしょうが、
母はあの当時、それがまだできていなかったんでしょう。

とはいえ、派手なことは母の自由ですから、
私がとやかく言う事ではありません。

私が困惑したのは、母の服装が単に派手なだけではなく、
極めて露出の高いものばかりだったこと。
そして、その事以上に母の性に対する感覚が、
明らかにおかしかったことです。

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服装以上に感覚がおかしい…ギャル母が友人とともに弄んだ息子の性

母は家ではショートパンツ、
外ではスカートが多かったですが、
どっちにしても股下すれすれという短さ。
さすがにパンティ丸出しというわけではありませんが、
それでもチラチラ見えるくらいのことは普通でした。

まだ小さかった頃は意識するようなことはありませんでしたが、
大きくなってくるとそうはいきません。
股間がどうやっても反応してしまいますし、
私自身、母の下半身に目をひきつけられずにはいられなくなってきました。
自分でもこれはいけないことだとは思っていましたが、
どうしようもありませんでした。

たとえば母が外から帰ってきて自室へ向かおうと階段を上がっていく。
そんなとき、私はつい、下から階段を見上げてしまうんです。
短いスカートの裾の奥に、
パンストに包まれた母のパンティがちらちら見えている。
パンティは白だったり黒だったり赤だったりと色は様々でしたが、
いずれも子供の目にもセクシーに映るものばかりでした。
それを、私は自分に戸惑いながらも恍惚として鑑賞していました。

母がおかしかったのは、そんな私の様子に気づいていたことです。
気づいていて、見せるんです。
階段を上る足を止め、母が急に振り返って、
階下で凝視している私をみる。
ぎょっとする私に、

「めっ」

とひとことだけ言って軽く嗤う。
そして、何事もなかったように階段を昇っていくんです。

私はそれでもみることをやめられませんでしたが、
怒るでもなく、止めるでもない。
何度も同じようなことがありましたが、
それ以上のことはなにもありません。

今なら確信を持って言えますが、
母は私に性的な目で見られることを楽しんでいたのでしょう。

見ていた張本人の私が言えた義理ではありませんが、
私の母は、派手だったからどうこうというよりも、
根本的なところで
母親としての何かが欠けていたんでしょう。

 

そんな母ですから、
付き合っている友達も似たようなものでした。
母は同級生の親たちとの付き合いはほとんどなく、
学生時代の友人たち2人との付き合いが多く、
家に呼ぶこともしばしばでしたが、
全員が全員、派手な上にパンティがチラチラ見える格好ばかりで、
しかも私の反応を楽しむ人たちばかりでした。

彼女たちが遊びにくると、私はよく居間に呼ばれて
お菓子をつまみながら話を聞いていることが多かったです。
とは言っても、話に集中できることなんてほとんどありません。
何しろ、目の前にパンティが今にも見えそうな女性が
母も含めて3人も並んでいるんです。
下半身がどうにもなりませんでした。

ですが、三人とも私が勃起していることを承知の上です。

「すっごい。ちゃんと勃起してるじゃない」
「割と大きいわね。成長、はやいね」
「でしょ?立派なのよー」

彼女たちの話の種はいつしか私の勃起した性器が主体になっていましたが、
私としては自分の股間の品評会を催してもらったところで
反応のしようがありません。
恥ずかしいだけです。

ただ、少なくとも私の性器を褒めてくれていることには間違いなく、
恥ずかしさとともに、どこか誇らしさはありました。
正直に告白すると、その誇らしさは私にとってもいつしか快感になっていて、
彼女たちが私の股間の棒っきれについて語り始めると、
私はますます股間を固くするようになったんです。

 

そんな3人ですから、私の股間に直に手を出してくるまでに
そんなに時間はかかりませんでした。
ある日、いつものように3人の側で股間を膨らませていると、
友だちの一人が私に触れてきたんです。

「そんなに大きくしちゃってえ。出したいんじゃないの?」

そう言って、私の隣に座ったんです。
大人の女の人の、いい香りがしました。
細い指先で股間をつつかれた瞬間、
既に膨らむだけ膨らんでいた私の股間は、
ごく軽い刺激にも耐えられませんでした。

ブリーフの中で自分の性器が脈打ち、
精を大量に吐き出しました。
精液がブリーフの中一杯にひろがり、
どろりとした生ぬるい感覚が、
股間全体を包み込みました。

「あれ、もう出ちゃったみたい…かわいいー」
「ねえ、かわいそうだし、着替えさせてあげなよ」
「仕方ないわね。ほら、母さんが脱がせてあげる」

母は慌てることもなく、私のそばまで寄ってきました。
ズボンに手を掛けられ、なすすべもなく脱がされます。
自分でもそれと分かる悪臭が、
下半身からむわっと立ち上りました。

「わあ…」
「こんなに出るんだ…」

友だち2人は目を丸くしていましたが、
股間を目の前にした母の反応はそれ以上でした。

「…いい臭い…」

それだけ言うと、そのままパクリと私の股間にしゃぶりついたんです。

「か、母さん!?」

私は慌てました。
友だち二人も、これにはさすがにびっくりしたようでした。
最初だけでしたが。

「え、そこまでする?」
「ちょっと、やり過ぎじゃない?」

ですが、母親は返事をすることもなく、
音を立てて私の股間を貪るばかりでした。
じゅるじゅると精液を啜りあげる音だけが、しばらく居間を支配しました。
みるみるうちに私の肉は元気を取り戻し、
ほどなく二度目の精を実の母親の口の中に放出しました。
耐えられるわけがありませんでした。

ごくり、と母親の喉が鳴りました。
私の精子を飲み干したんです。

「…おいしい」

それだけ言って、母はしばらくうっとりとしていました。
口の周りには、私の白い液体がどろりとまとわりついて、
唇がいつもに増して赤く光っていました。

 

一度こうなると、タガが外れます。
三人に交互にしゃぶられるようになり、
三人の舐め方の癖の違いまで分かるようになった頃、
とうとう私の性器は、女の胎内の感覚を覚えることになったんです。

その日、いつものとおり三人にしゃぶられ、
息も絶え絶えになっていたとき、
友だちのひとりが言ったんです。

「ねえ、思ったんだけど、息子さん、どうせなら入れたいんじゃない?」
「ええ?そこまではないでしょ」

母はさすがに本番までは考えていなかったみたいです。
めずらしく慌てた声で言いました。
ですが、そもそも息子の性器をしゃぶってる時点でおかしいんです。
実際に提案されてしまうと、母はまんざらでもなさそうでした。

何より、弁解できないのですが、
私自身があれだけ疲れていたというのに、
元気を取り戻してしまいました。
セックス。
なんだかんだ言っても、それは私にとっては魅惑的なものに他ならなかったんです。
みるみる膨らんでいく息子の股間をちらりと見て、
母はすっかりその気になってしまったようでした。

「仕方ないわねえ」

言葉とは裏腹に、母の目はらんらんと輝いていました。
スカートの中に手を入れ、紅い下着を脱いでいきます。

「そのまま座ってていいからね」

極端に短いスカートですから、
股を開くのもやりやすそうでした。
ソファの上に座った私の上に正面からまたがってきた母親は、
そのまま私にキスをして、
腰を下ろしたんです。
柔らかい肉と細やかな陰毛に触れる感触を亀頭に一瞬感じた後、
口の中とは比べ物にならないほどの
ぬめりと熱さが、性器全体に広がりました。

「あふぅ…」

母が、腰をぶるっと震わせました。
あれが一回も射精していない状態だったら、
その場で私は精を放っていたことでしょう。

「どう?息子さんのち●ちん」
「4回目だけど、大丈夫そう?」

興味本意な友達の質問に、
母は言葉少なに答えました。

「無茶苦茶いい…硬いの…」

そのまま、腰をゆさぶり始める母。
ロングヘアがたなびき、ソファがぎしぎしと音を立て始めます。
友だち2人も、もう無言でした。
目を見開いて、私と母のセックスの有様を観察しています。

「あ、あひぃ…」

母の唇からは、頼りない声が漏れます。
フェラチオだけでもうっとりした顔をしていた母ですが、
目の前で上下に揺れる母の顔は、それとは段違いでした。
そういう私も、はじめてのオマ●コに夢中で、
それを気にする余裕はなかったのですが。
あれだけ疲労を感じていた股間が、
嘘のように張り詰めていました。

ヌルヌルの母の愛液が、
どんどん私のものに絡みついてきます。
もう出ないだろうとさえ思われた精子が、
睾丸の中で湧きだすように生み出されているのが
ぼんやりと、けれどハッキリと感じられました。

「あふっ…くぅ…んっ!」

グイっと母の膣が締まり、母がのけぞったとき、
私は母の胎内に生まれたての精子を放ったのです。

 

いくら私が若いとはいえ
その日は母とのセックスだけで限界でしたが、
次のときからは友達2人ともするようになりました。
もう、フェラチオで射精することはありません。
すべて、母と友達の膣の中でした。

「ふぅ…息子さんのち●ちん、ハマるわぁ」
「若いっていいわねぇ」
「でしょ?こんなの、ハマんない方が無理」

気が付けば、3人との情事は
どんどん間隔が狭まっていきました。
口でされていたころと同じように、
3人それぞれのオマ●コの形も癖も、
私はすっかり覚えてしまいました。

 

それから数年間、私は彼女たちの中に
ただただ精液を出し続けました。
あまりにもたびたびなので、
性欲を持て余す暇さえありませんでした。

ただ、数年が立った頃から、
母の友人たちはだんだん遊びに来なくなってきました。
飽きたのか、
それとも心境の変化かはわかりません。
それでも来た時は必ずセックスして帰って行きましたが、
徐々に私は母とだけセックスすることが増えていきました。

「あなたのち●こ、何度しても飽きないなあ」

さすがの母も徐々に性格は落ち着いてきていましたが、
どこかおかしい感覚は変わりませんでした。
愛おしそうに、精子と愛液にまみれた私の性器に
ほおずりし、舌を這わせ、中に入れさせる母。
息子の私の精液を、歓喜の声を上げながら受け入れる母。
そんな日常は、結局私が家を出るまで続きました。

始まったときと同じように、
私と母の性行為は、それであっけなく終わりました。
母ももう、そういった刺激に飽きる時期だったんでしょう。
今でも綺麗で派手めな母ではありますが、
かつてほどの露出はしなくなりましたし、
そう浮いた感じもしません。

 

あの当時を思い返すと、
要は体のいい性欲解消相手として使われた、ということになるのでしょう。
とはいえ、嫌だったという感覚はあまりありません。
仮に無理矢理だったなら絶対にこうはいかなかったでしょうが、
受け身だったとはいえ私自身が気持ちよさを楽しんでいましたから。

それに、母のことは今でも好きです。
倫理的な面では問題大ありな母でしたが、
それ以外は私の好きなようにさせてくれましたし、
いうべきことも決して的外れなことは言いませんでしたから。
表現として問題があるのは承知した上で言いますが、
決してハズレの親というわけではなかったと思います。

ただ、私は今でも、母に対して肉親という感覚を全く感じないのです。
仲は今でもいいですが、セックスをしなくなった今でも、
ひとりの女としてしか見れません。

母がそんな私の心の中を知っているかは定かではありません。
ただ、おそらくはわかっているでしょう。
母だって、自分の息子への感覚が、
一般的な親子のそれとはかけ離れていたことくらいは
自覚しているでしょうから。
多分、私と母はこれからもずっと、
親子という感覚を持てないままなのだろうと思います。

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